無条件の愛で生きることが出来ない人へ
僕には毎月楽しみにしているブログがある。それは「引き寄せの法則 エイブラハム|香港在住」というブログ。今は毎月10日に新しい記事が投稿される。このブログ記事は、メアリーさんという香港在住の日本人の女性が書いているもの。
このブログを知ったのは、確か2~3年前だったと思う。エイブラハムという存在にとても興味があったときで、ネットであれこれ検索していて、たまたまこのブログを見つけた。
読んでみると、エイブラハムの言葉が詳しく大量に書かれていたのに驚いた。そして、その内容があまりにも興味深く勉強になるので、全ての記事を少しずつ読んでいった。読了するのに、半年以上かかったと思う。
気分的に落ちて辛かったときは、このブログの記事に何度も助けられた。何度も助けられたということは、エイブラハムの言葉は、それほど本質を突いているということだと思う。
目次
心豊かな人生は「無条件の愛」が必須
このメアリーさんのブログでは、エイブラハム以外の存在の言葉も紹介してくれている。今月10日に投稿してくれた記事「無条件の愛 by セイント・ジャーメイン」は、セイント・ジャーメインという存在の言葉。これまた結構心に突き刺さる内容だった。
テーマは「無条件の愛」。「無条件の愛」っていうと、僕の場合「親が我が子を思う気持ち」が頭に思い浮かぶ。自分の子どもが何をしようと「大丈夫だ」と、全面的に根本的に信じている感じ。
で、セイント・ジャーメインは、この「無条件の愛」を、自分も含め全ての人に向けると、自分の苦しみは楽になり、自分の人生が豊かになっていく、って伝えてくれている。
では、「無条件の愛」とは何か。これについてちょっと考えてみたところ、「無条件の愛」とは、「見返りを求めず優しさを与えること」、「ありのままを許して認めること」じゃないかな~って思った。セイント・ジャーメインは、次のように話している。
人間は「条件」というものを付けるようになってしまった。自分のハートを相手にあげたら(=自分の心を開いたら)、自分にも何かが返って来るべきだと思うようになってしまった。
そのような思考を持った時点で、もう既に愛の本質は失われている。そのような前提を持っただけで既に、愛のエッセンス(本質)は失われてしまうのだ。
これは、自分が何かを与えようとするとき、「与えたんだから自分にも何か返ってくるべき」って思っている時点で、もうそれは愛ではないということだ。確かに~って、もの凄く納得した。
ということは、見返りをもらう意識が初めから皆無で、何も考えず自然と与えようとすることが、「無条件の愛」ってことだ。セイント・ジャーメインは、苦しみや不足のない楽で豊かな人生にするためには、この「無条件の愛」を与えることこそが必須のことだと話している。
「無条件の愛」は現代社会では難しい・・
でもこれ、現代で実践するのは、結構難しいんじゃないかな~って思う。現代の社会は、労働や価値を提供することでお金をもらい、お金を払うことで欲しいものを手に入れる、ということが共通の概念になっている。
つまり、何かを与えることと見返りをもらうことが、セットになっているのだ。僕たちはこれを日常的に行っていて、当たり前のことになっているので、見返りを意識せず与えることは、なかなか出来ない気がする・・
しかし、こんな状況であってもやはり、セイント・ジャーメインの言う通り、「無条件の愛」で生きることこそが心豊かな人生を送るための必須事項というのは、間違いないと思う。では、どうすれば良いのか?・・僕は次のように考えた。
与えることと手に入れることを切り離す
与えることと手に入れることを切り離して、それぞれ全く関係のない別のこととして捉える。例えば、会社で働くことと、その会社から給料をもらうことを、全く別のこととして捉える。次のような感じで。
何も考えずにただただ、会社のため社会のため、仲間のため家族のために、自分の力を与える、愛を与える、という意識で働く。そして、それとは関係なく、なんか知らんけど、会社が自分のためにお金をくれた、愛を与えてくれた、って思うようにする。
「会社のために働いたんだから会社はそれ相応の給料を支払うべき」って思うのではなく、会社に対しては、会社で働いたこととは別に、「お金が欲しいからお金をもらえると嬉しいな」って思うようにする。
こんなふうにしていると、「無条件の愛」で生きていけるようになっていくんじゃないかな~。
「無条件の愛」に無理があるとき
でもでも、これを実践するのが難しい人も、少なくないと思う。人に「無条件の愛」を与えようとしたとき、自分に無理している感じが出る人もいると思う。
その理由はおそらく、自分自身に「無条件の愛」を与えていないから。具体的には、「自分が何かをもらうには、一生懸命に頑張って、それを与えてくれる人を喜ばせないといけない」って思ってるんじゃないかな。つまり、「喜ばすことが出来たら、与えられる」っていう、条件が付いた受け渡しが当たり前のことになってて、絶対的なルールになっているんじゃないかな。
で、僕たちは、自分に課していることを、人にも求めがち。なので、こんなふうに生きていると、人に何か与えようとするときも、「与えるからには、喜ばせてね」って無意識に思ってしまう。そして、「あなたは私からもらうんだから、あなたは私を喜ばせないとね。私を喜ばせようとせずに私からもらうなんて、あなた卑怯よ!」ってことになってしまう。
こんな感じだと、素直に無理なく「無条件の愛」を人に与えることができないのは、当然だと思う。なので、「無条件の愛」を人に与えることが出来るようになるには、自分の中にある「受け渡しには条件が付くのが当たり前」という絶対的なルールを破壊し、忘れ去らないといけないと思う。では、どうすれば良いか?
まずは自分に「無条件の愛」を与える
それは、自分に無理して頑張ることをやめ、「頑張らなくても何もしなくても自分は何でも与えられる」って頭の中を書き変え、そして、これらを自分に許可してあげれば良いと思う。
これって、よくよく考えると、赤ちゃんのころの自分だよねー。赤ちゃんは頑張らないし、何もしなくても与えられている。無意識ながら自分自身に「無条件の愛」を与えている。就学前の子どもも、比較的まだそんな感じだよね。
そして、僕の娘もそうだけど、就学前の子どもは何の見返りも期待せずお手伝いとかしてくれる。つまり、自然と「無条件の愛」を誰かに与えている。もちろん、彼らの気が向けばだけど(苦笑)。これが出来るのは、自分自身に「無条件の愛」を与えているからだと思う。
なので、こんな赤ちゃんや就学前の子どものようなスタンスでいることが、自分自身に「無条件の愛」を与えていることになるんじゃないかな~。そして、自然と「無条件の愛」を人に与えることが出来るようになるんじゃないかな。
ネガティブな言葉を言いたくなったとき
さて、ちょっと話題を変えるけど、メアリーさんが紹介してくれたセイント・ジャーメインの言葉に、次のものがあった。
本当のあなたは「愛」なのだから、愛を自分から流れ出させるのだ。
しかし、それをどのように行えばいいのかとあなたは聞く。具体的にはこういうことだ。何か不親切なことを言いそうになったときに、舌を丸めるのだ(=言うのをやめるのだ)。
誰かを褒めようと思ったときには、恐れの気持ちから一歩前に出るのだ。
「何か不親切なこと」というのは、おそらくネガティブな言葉のことだと思う。確かに、ネガティブな言葉を誰かに言ったところで何もポジティブなものは生まれないと思うから、言うのはやめた方が良いと思う。
ネガティブな感情を抑え込んではダメ
でも、ネガティブな言葉を言いたくなったネガティブな感情は、絶対に抑え込んではダメだと思う。ネガティブな感情は、自分の中で処理して解放しないと、いつまでも自分の中に残って、心がどんどん重くなっていってしまう。
だからこんなときは、言うのをやめるのは人前だけにして、人のいないところで思いっきり言う!ネガティブな感情を思いっきり味わって、自分の中からネガティブな言葉を吐き出す!悪口も愚痴も何もかも爆発させてしまう。
そうすると、心がスッキリして、その人に「何か不親切なこと」、ネガティブな言葉を言いたくなるエネルギーは、消滅してどこかに行ってしまう。すると、再び自分の中に愛が循環していくことになる。
ちなみに、誰かにネガティブな言葉、否定的な言葉を言いたくなるのは、常日頃から無意識に、自分に対してネガティブな言葉、否定的な言葉を投げつけているから。なぜなら、僕たちは自分にしていることを人にもするようになるから。人にしていることは自分にもしている、ということだ。
まとめ
ということで、今回のお話しを整理すると、こんな感じ。
- 苦しみや不足のない楽で豊かな人生にしたいなら「無条件の愛」で生きること
- 「無条件の愛」とは、見返りをもらう意識が初めから皆無で、何も考えず自然と与えようとすること
- 「無条件の愛」で生きるには、まずは自分自身に「無条件の愛」を与えていないとダメ
- 自分自身に「無条件の愛」を与えるためには、自分に無理して頑張ることをやめ、「頑張らなくても何もしなくても自分は何でももらえる」って頭の中を書き変え、これらを自分に許可する
- 誰かにネガティブな言葉を言いたくなったら、誰もいないところで思いっきり言い、ネガティブな感情を処理して解放する
ということで、メアリーさんのブログは、とってもためになるし心が軽くなるから、是非読んでみてね~!エイブラハムやセイント・ジャーメインの言葉に対するメアリーさんの解説も、とっても素敵♪おススメだよ。(^^)/
ふなこしのりひろさん、メアリーです。
こちらのサイトでご紹介下さって本当に有難うございます。
ビックリしました!!
私はセイント・ジャーメインの言葉を訳しただけですが、ふなこしのりひろさんはそれを深く理解されて、そこからいろいろと展開されて、本当に素晴らしいですね!
なんか記事の質が違う~と感心しました。
個人の感じ方をお聞かせ頂けることは、とても貴重だと感じました。
一人ひとり独特の形で受け取り、そこから新しい考え方を発展させて行くという素晴らしい例を見せて頂きました。
セイント・ジャーメインもとても喜んでいると思います。
こういうの、ほんといいですね。
どうぞこれからもよろしくお願い致します。
本当に有難うございました_(._.)_